毎年8月第4日曜日に催される川合神社(岡山県加賀郡吉備中央町)の夏祭りには、神社の氏子や地域の団体・小中学校など9団体によってそれぞれ1体~3体の人形を置く小屋が設けられ、だし と呼ばれる人形(芝居・物語・神話等の一場面から取り集めた歌舞伎風のものなどから題材を選んで、ワラ・紙・木・竹・で作られる)が奉納されるそうです。
古くは疫病の退散と五穀豊穣を祈願するためのもので、後に芸術性も加わって継承されてきたといわれます。
義経軍と義仲軍は宇治川で対陣し、義経軍の高綱と景季は互いに一番乗りの功名を立てようと川中で激しく先陣を争ったが、結局、高綱が一歩早く対岸に上陸して一番乗りを果たした。
館を後にして伏見稲荷まで来た義経は、都を立ち退くことにする。追いついた静御前は供を願うが落ち行く旅に連れては行けず、静を木に縛りつけて去る。
そこへ来た鎌倉方の追手が静を捕らえようとするが、義経の家来佐藤忠信が現れ助けた後の場面。
静御前は都に留まっていたが、やはり義経のことが恋しくてたまらず、ついに都を後にして義経のもとへと行くことにした。その義経が吉野にいるらしいとの噂を聞き、木々の芽がほころぶ初春の時分、吉野に向い女ひとりで道を歩む。
平泉で藤原泰衡に衣川の館を攻められた際、弁慶は並み居る敵兵を次々に倒すが、ついには無数の矢を受けて、薙刀を杖にして仁王立ちのまま息絶えたと伝えられている。
鬼たいじへ出発!!
真田幸村は、1567年 信濃上田城主・真田昌幸の次男として生まれた。父昌幸は小大名ながら「表裏比興の者」と評され、幸村は「日本一の兵」と評された人物であった。
1614年 方広寺鐘銘事件をきっかけに「大坂冬の陣」の開戦となった。幸村は「真田丸」と呼ばれる出城を築き鉄砲隊を用いて徳川勢の先鋒隊に大打撃を与え、その武勇を天下に知らしめた。
1615年 「大坂夏の陣」では家康本陣に攻め込み、家康に自害を覚悟させたほどの勢いであったが、兵力に勝る徳川勢に押し返され、敗れた。
目のさめるような藤の花の下で黒塗りの笠をかぶり、藤の花枝をかざした藤の精。胸をよぎるのは恋しい男への変わらぬ想い。
ここに紹介できなかった だし もありますが、どれも力作で神様もさぞ喜んでおられるだろうと思いました。
また、小学校や中学校からも だし が奉納されているのを見て、素晴らしい民族文化を継承し発展させていく若い息吹を感じることができました。
※この川合神社夏祭りのだしは、岡山県の重要無形民俗文化財に指定されているそうです。
臨時駐車場 ・・・・・・・・ 下竹荘小学校グラウンド
踊り・・・・・・・・・・・・・・・20:00 くらい~
花火の打ち上げ ・・・・ 21:45 ~ 22:00 くらい






