町並み保存地区散策
白壁・格子窓の商家や民家・なまこ壁の土蔵といった伝統的な建造物が並び、城下町のたたずまいを残す古い町並みは、昭和60年に県下で初めて町並み保存地区に指定されたのだそうです。
町並み保存地区には、観光客用の無料駐車場が何カ所かありますが、市役所近くの「城内観光駐車場」に駐車しました。
昔ながらの酒蔵・旧家・武家屋敷といった建物や、古民家・蔵などを活用した工房・カフェ・ギャラリーなどが軒を連ねた町の風情を楽しみながら散策しました。そして、見たいと思っていた武家屋敷館に入りました。
高田城攻略
高田城(勝山城の前身)は、通説では、南北朝期、北朝側に与して美作真島郡の地頭に任じられた関東の名族三浦氏によって築かれたと考えられ、如意山山頂の本丸、本丸の南側中腹の二の丸、太鼓山の出丸、如意山西麓の三の丸からなり、本丸の周りには多くの壇郭や堀切が配置されているそうです。
高田城はその後、尼子氏・三村氏・毛利氏などに翻弄され、落城、復興を繰り返しました。
1562年、三浦貞勝は三村氏に攻められ、貞勝の妻「お福」は備前に逃れて宇喜多直家の側室になり、秀家を生みました。
1575年、三浦貞広は宇喜多・毛利連合軍に敗れ、三浦氏は滅亡して240余年の歴史に幕を閉じます。その後、毛利家の家臣が城主となりましたが、1584年に宇喜多氏の領有となり、宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで敗れた後には小早川秀秋の領有となり、1603年に森忠政(森蘭丸の弟)の領有となりました。
三の丸遺跡は、市役所の近くにあるので簡単に行けました。そこは、室町時代前期から江戸時代初期にわたる建物や異物が出土し、15世紀の三浦氏から17世紀初頭の森氏の城番までの館跡の一部と推定されています。
二の丸跡は、急勾配の車道を上ったところにありました。そこはグラウンドになっていました。
本丸跡へは、二の丸跡を通り過ぎた先の馬洗場跡の近くへ車を置いて、遊歩道を上りました。本丸跡付近は雑草が繁茂していて、マムシの用心をしながら歩きました。
















