西門付近を見た後、南門跡・東門跡・屏風折れの石垣・北門跡・礎石建物群跡などの古代山城の遺構を巡る遊歩道を歩いてみました。
古代山城の遺構を巡る遊歩道は、凹凸あり段差ありの山城らしい道でした。遺構を毀してはいけないので、むやみに手を加えることはできないのでしょう。
遊歩道は、西門→南門跡→東門跡→屏風折れの石垣と巡るコースの多くの部分で城壁の遺構に沿っているようでした。
西門付近 ~ 南門跡
西門付近
ここは、流水量が少ないので通水溝を設けない浸透式の水門だったとして復元してあり、見た目では水門という感じはしませんでした。
遊歩道
城壁に沿って敷かれていたと思われる敷石や城壁下部の石積みの遺構らしき石列を、遊歩道の路上や路傍のあちこちで見ることができました。
城壁そのものは、1300年間の風雨で版築土塁が崩れ、ほとんど失われてしまったのでしょう。
神籠石は、城壁を築くとき版築土塁の下に土留め石として施設していた列石で、鬼ノ城は神籠石式山城といわれています。
第1水門跡・第2水門跡
右の写真の遊歩道の左側は低湿地のようになっていて城内側だとわかるので、遊歩道のこの場所は水門の上(城壁の上)に位置していることになりそうです。
高石垣
高石垣の上からだと南から来る敵がよく見えそうです。
南門跡
高石垣のところから少し歩くと南門跡に着きました。
南門跡では、石組みや角柱などが復元されていました。
南門は、規模・構造ともに西門とだいたい同じで、間口3間(12.3m)・奥行2間(8.2m)・城内への通路1間(4.1m)の大型の城門だったようです。
扉の据え付け位置にある門礎は、門柱を立てる部分を方形に削り取ったくり込み・方立柱穴(扉を受けるために門の両側に立てる小柱穴)・軸摺穴(開閉する扉の軸を支える穴)・蹴放し(扉の下にあって内外を仕切る)が一体的に加工されたもので、その丁寧な加工に驚かされました。
南門跡 ~ 東門跡
第3水門跡
第3水門跡付近(南側)には遊歩道に敷石や列石がかなり残っていて、城壁がすぐ傍にあったことがわかります。
自然歩道 ~ 高石垣
第3水門跡を過ぎた辺りの遊歩道は、吉備路自然歩道の表示があったりする快適な道でした。雰囲気を楽しみながら歩いていると、やがて高石垣が築かれた広い場所に出ました。そこは展望台のように見晴らしがよく、東門跡や屏風折れの石垣も一望できました。
第4水門跡
第4水門跡は、状態が悪く、城外側から見ることはできませんでした。
東門跡
東門は、西門や南門に比べると少し小さく、間口1間(3.3m)・奥行き2間(5.6m)の6本柱からなる城門で、すべて丸柱が用いられている点など他の3門とはやや異なった特徴を持っているようでした。
扉を入った正面(城内)には、巨大な一枚岩があり、敵の侵入を妨げるために利用されていたと考えられているそうです。