鬼ノ城みて歩き(1)

 大規模な古代山城を見て、重機のない時代によくぞこれほどのものを築いたものだと感嘆しました。

西門付近

西門付近(展望デッキから撮影)

 鬼ノ城(きのじょう)は、現在の岡山県総社市にある鬼城山(標高397m)の山頂部に築かれた古代の山城で、この山の八合目から九合目にかけて2.8kmに渡って鉢巻状に築かれた城壁城門4か所・角楼1か所・水門6か所などで構成されています。(現在、一部が復元されて一般公開されています)

西門付近

西門付近(遠景)

 昔から地元では「山の上に大きな城があった」との言い伝えがあったそうですが、1978年(昭和53年)から本格的な学術調査が始り、今では、鬼ノ城は、白村江の戦い(*1)の大敗の後、唐・新羅の倭国侵攻に備えて(亡命してきた百済人技術者の指導のもとに)7世紀後半に築かれた山城だと考えられているようです。

*1・・・大和朝廷の実権を握る中大兄皇子が百済復興支援を決断し、倭国・百済復興軍の連合軍と、唐・新羅の連合軍との間で 663年に朝鮮半島の白村江で戦われた。

鬼城山ビジターセンター ~ 学習広場(展望デッキ)

ビジターセンターの外観

ビジターセンターの外観

展示室

展示室

西門の盾

西門の盾

 駐車場(無料)の傍に鬼城山ビジターセンターがあったので、展示を見たり鬼ノ城の説明ビデオを視聴したりしました。

遊歩道

遊歩道

分岐

分岐

学習広場

学習広場(展望デッキ)にて

 ビジターセンターのところから西門まで車イスで行けるように緩やかな傾斜の遊歩道が整備されていて、その途中に学習広場(展望デッキ)への分岐がありました。
学習広場(展望デッキ)は、復元された西門付近が見渡せる位置にあり、絶好のビューポイント&撮影ポイントになっていました。

西門

西門

クリックするとストリートビューが開きます

 西門跡はきわめて良好な状態で残っていて、上屋を支える12本の柱の位置と太さ、埋め込まれた深さ、各柱間の寸法などを正確に知ることができ、また通路床面の石敷や石段、敷石もよく残っていたので、城門の規模と構造を具体的に知ることができたそうです。

 そしてそれらをもとに、関連資料も参考にしながら現在の(一階は通路、二階は城壁上の連絡路、三階は見張りや戦闘の場としての機能をもつ)三階建ての城門に復元したのだそうです。

 古代山城の城門復元例としては、日本で初の事例だとも書いてありました。

西門(外側)

西門(外側)

西門(外側)

西門(外側)

西門(外側)

西門(外側)

西門(外側)

西門(外側)

 西門は、日本最大の古代山城大野城の大宰府口城門(間口8.85m)をしのぐ大型の城門で、間口は3間(12.3m)、中央の通路部分が1間で、奥行が2間あり、上屋を支える12本の柱は一辺最大60cmの角柱を2mほど埋め込んでいるのだそうです。

西門(通路部分)

西門(通路部分)

西門(通路部分)

西門(通路部分)

西門(通路部分)

西門(通路部分)

 現地の解説板によると、鬼ノ城にある4か所の城門は、いずれも掘立柱の城門で、通路床面に大きな石を敷き、床面と城門前面に2m近い段差があるのが特徴だそうです。

西門(内側)

西門(内側)

西門(内側)

西門(内側)

西門(2階)

西門(2階)

西門(角楼から撮影)

西門(角楼から撮影)

 鬼ノ城では、東門の発掘調査を皮切りに、西門・南門・北門が次々と明らかになったといいます。
 そして、2001(平成13)年度から2004(平成16)年度にかけて第1期の史跡整備事業が実施され、版築土塁の復元・高石垣の修復・城内敷石の整備・西門や角楼の復元など、角楼~西門~第0水門周辺の復元整備がなされたようです。

城壁

 鬼城山は、すり鉢を伏せたような形の山で、比較的平坦な頂上部から急峻な斜面に変わるあたりに鉢巻をしめたように2.8kmにわたって城壁が築かれていたそうです。
その城壁は多少の高低差はあるものの、下幅約7m、上幅約6m、高さ約6mの規模で築かれ、城壁で囲まれた城内の面積は約30haに及ぶといいます。

西門に続く城壁

西門に続く城壁(復元したもの)

城壁

城壁(復元したもの)

 城壁の大部分は、一段一列に並べ置いた列石の上に土を少しずつ入れて突き固めた”版築土塁“で築かれていて、上面には板塀が巡らされていたそうです。また、要所には堅固な高い石垣も築かれていたようです。
 現在、城壁のほとんどは失われていますが、西門→南門→東門→屏風折れの石垣と巡る遊歩道沿いに城壁の跡だと思われる場所が何か所もありました。

敷石

 城壁の下部に接して板石が1.5m幅程度(城内側には5m幅のところもあるとか)に多数敷きつめられていました。

敷石

敷石

敷石

敷石

敷石

敷石

 この石畳のような敷石は、通路としての役わりもあるものの、敷石の傾斜などからみて、もともとは雨水等が城壁を壊すのを防ぐことを目的としたものと考えられているそうです。敷石は、朝鮮半島でも数例知られるだけの珍しいもので、日本の古代山城では鬼ノ城にしかないといいます。

 敷石をよく見ると、×印(+印かも)のついた石がいくつもありました。印のついた石は敷石の復元のとき新たに補充した石のようです。

角楼

角楼

角楼(正面側)

角楼

角楼(奥行側)

角楼

角楼(上側)

 角楼は、城壁の死角を補い最高所の鬼城山・西門と一体となって防御力を高めることを目的として築かれたと考えられていて、日本の古代山城では初の発見例という特殊な遺構のようです。


駐車場

鬼城山ビジターセンター駐車場(無料)

 砂川公園を過ぎたあたりから道が次第に細くなり、対向車に要注意でした。
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