津山城は、今の岡山県津山市にあった城で、現在は復元整備された備中櫓以外にこれといった建造物はありませんが、往時には5層の天守閣がそびえ、広島城の76棟、姫路城の61棟に続き、日本で3番目に櫓の数の多い60棟の櫓を擁する壮麗な大城郭だったそうです。
森氏は4代95年にわたって美作国を治めましたが、4代藩主長成に嗣子がなく、元禄10年(1697)改易になりました。その翌年、越前松平家一門である松平氏が入封し、以後、明治4年(1871年)の廃藩置県まで9代174年にわたって藩主として津山を治めました。
明治6年(1873)廃城令によって城郭は公売され、翌年から一切の建物が取り壊されましたが、その後、明治33年(1900)城跡は鶴山公園として津山町の管理となり、昭和38年に国の史跡に指定されました。
現在、城跡は鶴山公園として整備され、春には1000本の桜が咲き乱れる桜の名所となっています。
そこには備中櫓をはじめ、粟積櫓・月見櫓など数多くの櫓が立ち並び、本丸には70余の部屋からなる御殿と庭園があったそうです。
私が行ったとき花の時季は過ぎていましたが、本丸跡の地面には、本丸御殿の形状を復元するように芝桜が植えられていました。
本丸御殿の南西端に備中櫓が復元されています。
森忠政は長女於松を池田備中守長幸に嫁がせており、その長幸が津山城を訪れるのを機に完成したのが備中櫓だったようです。備中櫓の棟鬼瓦にも建物内部の釘隠しなどにも、森家の鶴の家紋が入っていました。
津山城の天守は、地上5階建て(地下には穴蔵を備えていました)の、最上階以外は唐破風・千鳥破風などの装飾のない質実な造りで、高さは石垣を除いて約22mという、当時の5層の天守としては最大規模のものだったようです。
各階には数多くの弓狭間や鉄砲狭間が並び、1階の4隅には石落としが設けられていたそうです。
周辺にはいくつか駐車場がありますが、観光客用の駐車場として、津山観光センター駐車場や鶴山公園専用駐車場が無料で利用できます。
※ただし、さくらまつり(4月1日-4月15日)期間中は、上記の駐車場も他の臨時駐車場などと同じく有料になるようです。























