備中松山城(1)

 備中松山城 は、天守の残る唯一の山城で、市街地(岡山県高梁市)の北端にそびえる臥牛山(標高487m)に築かれています。

本丸付近(右奥に見える建物が天守)

本丸付近(右奥に見える建物が天守)

 鎌倉時代の延応2年(1240)に有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭秋庭三郎重信が臥牛山の支峰である大松山に砦を築いたことに始まり、以後数百年の間に小松山(現在天守閣があるところ)や前山など臥牛山一帯にわたって城や砦が築かれたといわれます。

備中松山城の鳥瞰図(ふいご峠の案内板のもの)

備中松山城の鳥瞰図(ふいご峠の案内板のもの)

 これら中世から近世にわたる城跡の現存地として 大松山城跡 切通及び番所跡 大池 天神の丸跡 相畑城戸跡 小松山城跡 中太鼓櫓跡 下太鼓の丸跡 の8ヶ所が、史跡備中松山城跡として国の史跡指定地になっているそうです。

 現在、一般に 備中松山城 と呼ばれるのは、小松山の山頂(標高約420m)を中心に築かれた近世城郭(中世城郭を江戸時代に改修した城郭)のことで、天守の現存する山城としては随一の高さ(比高370m)だといわれています。

* 備中松山城は、岐阜県の美濃岩村城、奈良県の大和高取城と並んで日本三大山城に数えられています。

登城方法

ふいご峠までシャトルバスを利用する方法

 5合目の城見橋公園駐車場までマイカーなどで行き、そこから8合目のふいご峠までシャトルバス(運行約15分間隔 中学生以上1人400円)に乗るのが一般的なようです。

城見橋公園駐車場

城見橋公園駐車場

シャトルバス

シャトルバス

ふいご峠駐車場

ふいご峠駐車場

※ ふいご峠からは、「小松山城跡」「中太鼓櫓跡」「下太鼓の丸跡」などの近世城郭跡も、「大松山城跡」などの中世城郭跡も徒歩で行くことになります。(観光客のほとんどは、「小松山城跡」だけ見て帰っているようでした。)

ふいご峠までマイカーを利用する方法

 シャトルバス運行中は、城見橋公園 ⇔ ふいご峠 間のマイカーの通行は規制されているので、この方法はシャトルバスが運行されていないとき(観光客があまりいないときなど)にしか選択できないみたいです。

※ふいご峠からは、徒歩で行くことになります。

麓からずっと徒歩で登る方法

 右の写真の遊歩道入口(上の地図で示している場所)からでも備中松山城天守閣までの比高は300m以上ありますが、麓から遊歩道を登るのも風情がありそうです。

遊歩道入口

遊歩道入口

 地元の人の話では、遊歩道は御根小屋跡(県立高梁高校がある場所)の上くらいのところからが昔の登城道なのだそうです。私は、遊歩道入口を通り過ぎて少し上ったところの空き地に車を置いて、ゆるゆると遊歩道を登りました。

大石良雄腰掛岩

大石良雄腰掛岩

大石良雄腰掛岩(説明)

大石良雄腰掛岩(説明)

遊歩道(登城道)

遊歩道(登城道)

 遊歩道の途中に忠臣蔵で有名な大石良雄の「腰掛岩」がありました。松山城請け取りのいきさつについては「大石良雄腰掛岩(説明)」の画像をクリック(拡大)してご覧いただきたいと思いますが、この数年後に内蔵助自身が赤穂城を明け渡す立場になるとは、運命とは何と皮肉なものなのでしょう・・・。

近世城郭跡

下太鼓の丸跡

登り口

登り口

曲輪の石垣

曲輪の石垣

虎口

虎口

 前山山頂(標高320m)にある下太鼓の丸跡へは、「ふいご峠」から遊歩道を登って簡単に行くことができました。数段にわたる曲輪が石垣で尾根上に連なって築かれていて、最も広い東端の最高段には方形に石を組んだ櫓跡が残っていました。

東端の最高段

東端の最高段

櫓跡の石組

櫓跡の石組

櫓跡の説明

櫓跡の説明

 戦国時代には物見の最前線であったのではないかと考えられていて、江戸時代になってから現在の形に改修され、麓の「御根小屋」と「中太鼓櫓」を太鼓の音で中継する基地になっていたのではないかと考えられているそうです。

中太鼓櫓跡

「ふいご峠」から天守閣のある「小松山城跡」までの遊歩道の途中に中太鼓櫓跡がありました。

中太鼓櫓跡(下側)

中太鼓櫓跡(下側)

中太鼓櫓跡(横側)

中太鼓櫓跡(横側)

中太鼓櫓跡(上側)

中太鼓櫓跡(上側)

 近世になって造られた櫓台で、「下太鼓の丸」とともに太鼓の音の中継基地として利用されたと考えられているそうです。 櫓跡(上側)には瓦が散乱していて、「もしかして、もとあった櫓の屋根瓦かも?」とか思いました。

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