安土城跡
安土城は、織田信長によって、琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)に建造(1579年完成)された城で、当時は地下1階地上6階建ての絢爛豪華な城であったそうです。
しかし、本能寺の変(1582年)の後まもなくして天主・本丸は焼失し、その3年後(1585年)に廃城となりました。そして、現在は石垣などの一部の遺構を残すのみとなっています。
入山は9時からだと思っていたのですが、8時30分頃に行ったところ、入山することができました。
大手道を入ると、まもなく左側に「伝羽柴秀吉邸跡」右側に「伝前田利家邸跡」が見えてきます。
上方に屋根が見えている建物は、徳川家康の屋敷跡とされる場所に再建された現在の摠見寺です。
広い大手道は、石を多く使った立派な造りで、それを作らせた信長の強大な力を感じさせるものでした。
大手道の石段には、石仏も使われていました。築城に使用した石材には、仏足石や墓石なども含まれていたそうです。二の丸跡には「信長公御廟」がありました。
本丸には、礎石の配列状況から、中庭をはさんで3棟の建物があり、天皇の住まいである内裏清涼殿と非常によく似ていたと考えられています。
安土城天主は、記録から地上6階、地下1階の当時としては傑出した高層の大建築だったことが分かっています。
天主台跡の礎石が見えている地面は地下1階部分で、天主台の広さはこの地面の部分の2倍半近くあったそうです。
18世紀末の段階では、仁王門・書院・方丈など22棟の建物があったそうですが、安政元年(1854年)本堂など主要な建物のほとんどを焼失して楼門・塔を残すのみとなったそうです。
(その後は大手道脇の伝徳川家康邸跡に寺地を移して、現在に至るまで法灯を守り続けているといいます。)
創建当時のままで残る三重塔と仁王門(楼門)を近くでじっくり見たかったのですが、危険箇所が有るとかで立ち入り禁止になっていて、残念ながら三重塔の基壇のところにも仁王門にも近づくことができませんでした。
安土城天主 信長の館
「安土城天主 信長の館」には、平成5年(1992年) に開催された「スペイン・セビリア万国博覧会」に日本館メイン展示として出展された安土城最上部5・6階部分の原寸復元模型が、新たに復元された部分を含めて保存・展示してあります。
内部には、当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「障壁画」が再現され、6階部分の外部には、金箔10万枚を用いた外壁が再現され、屋根には、安土城跡で発掘された当時の瓦片をもとに焼き上げた金箔軒瓦が使われているそうです。
「信長の館」や「安土城考古博物館」などを見たあと、近くのレストランで昼食(戦国焼き定食)をとり、13時頃に安土を出発し帰途につきました。