姉川古戦場と小谷城など

姉川古戦場

「姉川古戦場」は、元亀元年(1570年)6月28日に、浅井長政・朝倉景健の連合軍(約1万8千人)と織田信長・徳川家康の連合軍(約2万9千人)が戦った場所(現在の滋賀県長浜市野村町付近)です。

姉川古戦場

姉川古戦場

戦国時代の元亀元年6月28日は現在の暦では同年7月26日に当たるということですが、合戦は午前5時に始まり、午後2時には終わったとされています。

最初は浅井・朝倉軍の方が優勢でしたが、途中から形勢は逆転し、結局浅井・朝倉軍はこの合戦に敗れてしまいました。

小谷城戦国資料館

彼を知り己を知れば百戦殆うからず・・・小谷城攻略のためには、小谷城のことも浅井氏のこともよく知っておかなければなりません。

小谷城戦国資料館

小谷城戦国資料館

「戦国大名の浅井氏」と「小谷城」をテーマにした展示から、小谷城の城構えや浅井軍の戦力などの重要情報を得て、それをもとに小谷城攻略の戦略を練りました。

小谷城

小谷城跡は中腹の大手門跡近くまで車で上ることができます。
しかし、その駐車場らしきところにはもう私の車を駐車できる余裕はなさそうだったので、少し上の道路脇に駐車しました。

小谷城城跡絵図

小谷城城跡絵図

小谷城は、湖北の大名・浅井長政と織田信長の妹で戦国一の美女といわれたお市の方、その間に生まれた3人の娘・浅井三姉妹(茶々、初、江)ゆかりの城です。さすがに遺構は素晴らしく、小谷山全山を覆う壮大な構えに圧倒され、浅井氏の勢力の強大さを感じました。

首据石

首据石

本丸跡

本丸跡

壮大な遺構を見ていると、長政が六角氏の風下に甘んじることを快よしとしなかったことや、信長の駒になることを拒否したことなどが頷ける気がしました。浅井氏が北近江でそれだけの力を持っていたということをこの城構えが物語っているようでした。

浅井長政公自刃之地

浅井氏は信長への抵抗を続けたものの、信長の勢力は増すばかりでした。

そして、姉川の合戦に敗れて3年後の天正元年(1573年)、小谷城は落城し浅井一族は滅亡することとなりました。

長政は嫡男万福丸を城外へ逃がし、お市の方と3人の娘を織田軍に引き渡したあと自害しました。

しかし、のちに万福丸は探し出されて磔にされたといわれています。

大石垣

大石垣

山王丸跡

山王丸跡

山王丸の辺りまで行ったものの、大嶽へ行くのは断念せざるを得ませんでした。一旦下ってから登るルートなので、次の予定(長浜城)を考えれば時間的に無理だったのです。

長浜城跡

長浜城は、羽柴秀吉が浅井攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領して築いた城で、小谷城で使われていた資材が流用されたそうです。

長浜城本丸跡

長浜城本丸跡

現在、城址は豊公園として整備されていて、模擬天守(市立長浜城歴史博物館)が建てられています。
長浜城歴史博物館は午後4時30分までに入館しないといけないので、豊公園の無料駐車場に駐車してしばらく歩いたら、時間の余裕はほとんどありませんでした。

琵琶湖

模擬天守

展示物を見たあと、「当時、秀吉もこんな感じに景色を眺めていたのであろうか」と、展望台からの眺めを楽しみました。
そして、博物館を出たあと、しばし周囲を散策しました。

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