赤穂に行きました(1)

赤穂城跡

 赤穂城は、浅野内匠頭長矩の祖父浅野長直によって慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて築かれた近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城といわれています。

赤穂城大手門

赤穂城大手門付近

 浅野家断絶後は永井家、次いで森家の居城となりましたが、明治6年の廃城令により廃城となってからは、城内の建物が順次破却されていったそうです。
大手隅櫓

大手隅櫓

 しかし、昭和中期から平成にかけて櫓・門・塀・庭園が徐々に再建され、現在も二の丸庭園の再建が進められているようです。
本丸跡

本丸跡

本丸御殿建物跡(再現)

本丸御殿建物跡(再現)

 現在、本丸に御殿はないけれど、当時の御殿の間取りを原寸で地面に再現してあり、その規模の大きさに驚かされました。
本丸庭園

本丸庭園

天守台と天守風構造物

天守台と天守風構造物(イベント用)

 赤穂城では、5層天守の造営も計画されていましたが、幕府への遠慮か財政難の為か当初から造営されず、天守台のみが今日に残っているのだそうです。
案内図

案内図

厩口門(台所門)

厩口門(台所門)

 厩口門台所門)は、浅野家時代には「厩口門」、森家時代には「台所門」と呼ばれ、廃城後に失われていたものを、発掘調査や絵図資料などをもとに復元整備したのだそうです。
水手門

水手門

 水手門には、「船着き場の雁木」や船を波から守る「突堤」などが復元されています。かつて赤穂城は、満潮時には海水が石垣まで迫っていて、水運を利用した物資の搬入を行っていたそうです。
塩屋門付近

塩屋門付近

塩屋門の説明

塩屋門の説明

 塩屋門は赤穂城搦め手の門で、元禄14年(1701年)3月19日、浅野内匠頭長矩公の刃傷・切腹を知らす第一(早水藤左衛門萱野三平)、第二(原惣右衛門大石瀬左衛門)の早使いが入ったのも、この門だったそうです。

 大石神社の駐車場まで車で入るには、この塩屋門から入ります。

侍屋敷跡

 城内(特に、塩屋門から大石神社周辺にかけてとか清水門近く)に、侍屋敷跡をいくつか見ることができました。

間瀬久太夫宅阯

間瀬久太夫宅阯

間瀬久太夫について

間瀬久太夫について

磯貝十郎左衛門宅阯

磯貝十郎左衛門宅阯

磯貝十郎左衛門について

磯貝十郎左衛門について

片岡源五右衛門宅阯

片岡源五右衛門宅阯

片岡源五右衛門について

片岡源五右衛門について

 討ち入りを果たして切腹した義士のうち間瀬久太夫・磯貝十郎左衛門・大石瀬左衛門・片岡源五右衛門の屋敷跡、途中で脱落した者のうち奥野将監・鈴田(木)重八・田中貞四郎の屋敷跡、また、赤穂城開城前に夜陰にまぎれて赤穂から出奔したという家老の大野九郎兵衛の屋敷跡、その他の屋敷跡がありました。

大石神社

 大石神社は、大石内蔵助良雄はじめ四十七義士と萱野三平を主祭神として創建され、その後、浅野家三代の城主と浅野家断絶後の城主森家の七武将を合祀しているそうです。

大石神社参道

大石神社参道

 義士たちが苦節に耐えて大きな望みを達成したことにより、大願成就の神として多くの参拝客が訪れるのだとか。参道には赤穂義士の石像が左右に並んでいて、壮観でした。

大石神社境内

大石神社境内

 大石神社の境内地一帯は、大石内蔵助と藤井又左衛門の両家老、義士の片岡源五右衛門、その他数人の屋敷跡のようです。
大石神社境内の地盤が高くなっている(社殿や義士宝物殿がある)側に藤井又左衛門、手前側に大石内蔵助の屋敷があったのだとか。

義士宝物殿・同別館
義士宝物殿

義士宝物殿

木杯・呼子鳥笛・采配

木杯・呼子鳥笛・采配

龕燈

龕燈

槍穂先・鉄扇・印鑑

槍穂先・鉄扇・印鑑

大石主税書状

大石主税書状

吉良上野介屋敷絵図

吉良上野介屋敷絵図

 義士宝物殿には義士ゆかりの武具・書画どを展示し、宝物殿別館には浅野家・大石家の宝物や浅野家断絶後の城主森家に伝わる重宝類を展示していました。

瑤泉院使用和時計

瑤泉院使用和時計

大石りく使用小箱

大石りく使用小箱

義士木像奉安殿
義士木像奉安殿内部

義士木像奉安殿内部

義士木像

義士木像

 義士木像奉安殿には、昭和の著名な木彫家49人によって一人一体づつ製作された木像(浅野長短、萱野三平を含め49体)を展示していました。
大石邸長屋門・庭園
大石邸長屋門・庭園

大石邸長屋門・庭園

 大石邸庭園は、池泉鑑賞式兼回遊式の江戸初期庭園ということで、とても雰囲気がありました。
「300年あまり前、この庭を内蔵助りくの夫婦がそぞろ歩きし、子どもたちも戯れ遊んだことだろう・・・」と元禄の昔に思いを馳せながら歩いてみました。

大石邸庭園

大石邸庭園

大石内蔵助お手植えの松(三代目)

内蔵助お手植の松(三代目)

大楠

大楠

 大石邸は広大な邸宅でしたが、享保14年(1729)の火災によって建物の大半が焼失してしまい、焼失をまぬがれた長屋門だけが残ったのだそうです。

 その後修理等を経ましたが、城内に残された数少ない江戸時代の建造物として非常に価値が高く、国の史跡に指定されています。

大石邸長屋門

大石邸長屋門

 大石邸長屋門は、浅野内匠頭の刃傷事件の際、その知らせを持って早かごで駆けつけた急使が実際にたたいた門だそうです。

刃傷事件の知らせを読む場面

刃傷事件の知らせを読む場面

早かご

早かご

 長屋門内には、当時の駕籠を復元した駕籠や、刃傷事件の知らせを持って参上した早水藤左衛門萱野三平、その内容を読む内蔵助主税父子の姿をリアルに再現した人形も展示されていました。

 早駕籠は、江戸から赤穂まで百七十里(通常半月くらいかかる距離)をわずか四昼夜半で到着したといわれています。

大石邸長屋門(外側)

大石邸長屋門(外側)

大石邸長屋門の説明

大石邸長屋門の説明

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