小田原北条氏の祖である北条早雲が生誕し青年期まで過ごした早雲ゆかりの地(岡山県井原市)を訪ね、その当時に思いを馳せました。
戦国の魁 北条早雲
~~北条早雲は、1432年備中国高越城主伊勢新左衛門盛定の子として生まれ、伊勢新九郎盛時と名乗り、青年期まで荏原庄で武芸と学問に励んだ。
33歳で上洛し、京都伊勢氏の養子となって足利義視の近侍となり応仁の乱で伊勢に下る。
その後、妹の嫁ぎ先、駿河の守護今川家の家督争いを治め興国寺城主となった。 そして、堀越御所や小田原城などを攻略し、1516年に伊豆・相模を手中に収め、関東制覇の礎を築いた。
このように武勇と情勢判断に優れた早雲は、領国経営にも手腕を発揮し、領民から名君と慕われ、戦国大名の魁となったのである。~~
(井原市観光協会のリーフレットより)
(井原市観光協会のリーフレットより)
高越城址
高越城は、鎌倉時代末、蒙古襲来に備えて幕府が宇都宮貞綱に命じて作らせた城で、戦国時代には、京都伊勢氏の一族の備中伊勢氏が荏原庄を治め、この高越城を居城にしていたそうです。
伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)は、備中伊勢氏出身で、永享4年(1432)父伊勢盛定の子としてこの地に生まれ、青年時代までこの城で過ごしたといわれています。
高越城は標高172.3mの高越山山頂に築かれていて、現在は公園として整備されています。公園北側に大きな駐車場があり、そこまで車で行きました。
山頂の一の郭(主郭)には一段小高い土壇があり、北條早雲生誕之地の碑などが建てられていました。
高越城は、主郭(本丸)を含めて5段の郭で構成されていたことが確認でき、本格的な山城であったことがわかりました。
法泉寺
法泉寺は、高越城主・伊勢新左衛門盛定(早雲の父)が建てた伊勢氏の菩提寺で、幼いころの早雲が住職から漢籍・経典を学んだ寺といわれています。
本堂前には北條早雲公と法泉寺の顕彰碑があり、裏手の墓地には早雲父子の墓と伝えられる2基の室町時代の宝篋印塔がありました。
早雲の里荏原駅
早雲の里荏原駅は、井原鉄道井原線の駅で、この地が北条早雲の故郷であり、当時は備中国後月郡荏原庄(えばらのしょう)と呼ばれていたことが駅名の由来だそうです。
駅北側には、早雲にまつわる資料も展示されている「早雲の里交流センター」があり、待合所としての機能も果たしているようでした。
早雲の里荏原駅は、早雲ゆかりの場所を巡るウオーキングコースの起点にもなっているようでした。