川中島古戦場史跡公園に行った後、松代城(海津城址)に行きました。
松代城
松代城は、武田信玄と上杉謙信が戦った川中島合戦で武田側の拠点として築城された海津城がその始まりといわれます。
松代城の内堀・石垣・太鼓門はすべて平成の発掘整備復元によるもので、江戸時代の姿に限りなく近い状態で再現されているそうです。
松代城のある辺りは戦略的に重要な地で、信玄は謙信との合戦に備えて海津城の築城を急ぎ、山本勘助は80日で普請したといい、永禄3(1560)年頃に海津城が完成したようです。
関ヶ原の戦いの後、松代城は、城主となった森忠政の頃、二の丸・三の丸を整備し、土塁を石垣に築きなおしたと考えられているそうです。
松代城は、元和8(1622)年に真田信之が上田より移封されて以降、明治の廃城までの250年間、松代藩真田家10万石の居城となりました。(現地の案内板から抜粋)
激戦となった第4次川中島合戦では、信玄がここ(海津城)を基地として出撃したそうです。
真田宝物館
松代城に行った後、すぐ南にある真田宝物館に行きました。真田宝物館は、写真撮影可(フラッシュは不可)でラッキーでした。
防御のために鎧や衣服の下に着込んだもので、細かい鎖を平らに編み、麻の生地に縫い込んでいる。頭部を守る鉢巻状の鉢金と鎖頭巾が付属する。(展示品の説明より)
大坂冬の陣の後、大坂城内から出されたとみられ、信繁の書状としては現存最後のものである。当年中に戦いがおこらなければまた会いたいが一日先はわからないので、自分の事はこの世にあるものとはおもいますな、と心情を記している。(展示品の説明より)
真田家から貸し出された足軽用の具足。城には一定の弓矢や槍、具足、陣羽織などが常備され、足軽などの下級藩士に貸し出されるようになっていた。本品もその一つで、戊辰戦争に使用されたと思われる。(展示品の説明より)