長水城 は、播磨国宍粟郡山崎(兵庫県宍粟市)にある長水山頂に築かれた城で、播磨国守護代 宇野氏の要害でした。
通説では、1340年代に、赤松則村(円心)の3男赤松則祐が築城し、兄範資の次男広瀬師頼に守らせたのがはじめとされています。
その後、1441年の「嘉吉の乱」に遭遇し落城しましたが、文明元年(1469年)にいたって、赤松氏の一族宇野満利が再興し、以後、宇野氏の居城となったそうです。
しかし、天正8年(1580年)別所長治の切腹により三木城が開城されると、東播を手中におさめた秀吉の攻撃目標は長水城に向けられることとなりました。
そして、篠の丸城・香山城などの支城が次々と攻め落とされ、羽柴軍に包囲された長水城は、黒田官兵衛の調略で裏切った家臣に放火され炎上する事態に陥り、羽柴軍の総攻撃を受けて落城したと伝わっています。そして、宇野氏は滅亡し、播磨の反織田勢力は一掃されました。
長水城跡へは、長水山南西麓の宇野から登る大手口ルートと、長水山東麓の五十波から登る搦手口ルートがあるようです。
搦手口ルートなら山の中腹まで車道があるらしかったのですが、私は本来の登城道にあたる大手口ルートを選びました。
大手口ルートは、伊水小学校(宇野氏の平時の居館跡)横に登山口があり、地元の人に尋ねて手頃な場所に駐車して登りました。
登山道は、丸太で階段状に整備されていました。広くて比較的歩きやすいものの、勾配が結構ある坂が延々と続き、かなりきつい感じでした。
標高585m:比高450mだから、車を置いたところからでも比高は430mくらいあったでしょう。
標高585m:比高450mだから、車を置いたところからでも比高は430mくらいあったでしょう。
ヒイヒイいいながら何とか山上に辿り着くと、目を見張るような立派な石垣が現れ、「こんなに高い山の上にこれほどの石垣が存在しているとは・・・」と、驚嘆しました。
そして、「この険しい場所への築城には相当の労力を要しただろう」と当時の人夫たちの苦労を思いやりました。木材や石材を運ぶことからして並大抵の労力ではなかったことでしょう。
多分、信徳寺のご住職とその家族の方たちなのでしょう。ただただ敬服するばかりです。現在でも、山上まで車道は通じていないそうなのです。
山上からの眺めは最高でした。汗だくになって登ってきたご褒美です。
帰りは、あの丸太の登山道をひたすら下ります。心臓は楽だけど、足はガクガクになりました。







